◯◯で語るより、◯◯で語られよう
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日刊翔太 2016 0326
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オリンピックのような「採点基準」が
人間自身に当てはめられたら
どういう基準で採点されるのだろうと考えるときがある。
小学生から通信簿という習慣があるために
「自分の能力を他人に評価してもらう」という
変な価値基準が生まれている。
少しばかり ボクの昔話をしよう。。。
それはボクが幼稚園生だったころ。
当時 通っていた幼稚園は
制服とは別に正規のジャージを着てOKという習慣があった。
・・・そう ちょうど、⬇︎のかんじです。
・・・しかし、
そのジャージがあまりにも
「センスがない!なんだこのビジュアルは!」
と 感覚的に感じ取ったがために、
冬の時期は 半ズボン で過ごすという 荒々しい技を披露していた。
「こんな服を着るなら寒い方がマシやーーー!!!(♯`∧´)」
って 今でいう「こだわり」であったり
「美意識・センス」ってものが光っていたのかもしれない。
そして とうとう 腹が立ちすぎて
一回も そのジャージを着たことがなかったほど毛嫌いしていた。
・・・このように 自分の心の中で
「これは 有り やなぁー」
「これは 無し やなぁー」
ってことを無意識のうちに幼少期から判断できていたことがある。
での出来事「お遊戯会」のときに
世の中の評価基準として
「なにを得た」ので語るより
「なにを与えたか」で語られるヤツでいたい。
他人からの評価としては
「冬だから長ズボン・ジャージを着ましょう!」と
勝手に烙印を押しているわけで
しかも それを他人に押し付けてくる様(さま)が
ボクはとてつもなく拒否をしていた。
それは今も変わらず
誰かに命令されることを嫌うわけで。。。w
だが、その性格のおかげで
ゼロから創っていく様(さま)に興味を持っているのだなと気づけたし、
「他者のルール下で動きたくないのなら自分でルールをつくってしまえ!」という
frontier spirit(フロンティアスピリット) が
みょーに根付いているのだなと感じ取れる。
つい先日、
「自分の才能」についての診断テストをしてもらったのだが
ずばり面白いことに、
適する職業(仕事)やスタンスとして、、、
「革命家」
「起業家」
「アーティスト」
「クリエイター」
といった、
今までの常識となる概念を打ち壊したり、
概念そのものをつくったり、描いていくことが
ボクにとっての才能として輝きを放つ側面をもっている。らしい笑。
他の誰かと足並み揃える必要はないし、
そもそも、
足並みなんか揃うわけがない!!!
無理やりにでも
同じ日本人だからとか
たまたま同じタイミングで生まれてきたからといっただけの理由で
クラス分けだの、単なる見た目とか肩書きだけで
カテゴライズしてしまうことが
なんとも面白みを感じない (´Д` )泣
そして、最後になるのだが
最近の面白いマイブームとして
1つ紹介させてほしいことは、、、
「なにを得たで語るより、なにを与えたかで語られる」ということを目指すこと^^
それを当たり前と思えることが
自分らしいと感じられ 生きた心地を感じられる♪
そんな本音で語り語られる人生を全うしたいもんだね♪( ´θ`)ノ
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■2016年2月版
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